「テルーの唄」
現在真夜中の1時30分。
早く床に着いたのに眠れない。入眠剤と精神安定剤をセットで飲んだのに眠れない。
雑念が頭を駆け巡る。
しかたなく、むっくり起きる。
「テルーの唄」。きょう、処置室でBGMで流れていたヒーリング曲の中にあったピアノ曲。4回も聴いた。たしか、谷山浩子さんの曲だ。
帰宅して「人の声」が聴きたくなった。
先ずは手嶌葵さん。
次は谷山浩子さんバージョン。
♪夕やみせまる雲の上 いつも一羽で飛んでいる
鷹はきっと悲しかろう
略
心を何にたとえよう 鷹のようなこの心
心を何にたとえよう 空を舞うような悲しさを
雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている
花はきっと切なかろう
略
心を何にたとえよう 花のようなこの心
心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを
略
人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる
あなたもきっと寂しかろう
略
心を何にたとえよう 一人道行くこの心
心を何にたとえよう 一人ぼっち寂しさを
略♪
美しい声、美しいピアノ、美しい詩、美しいメロディー。知らない間に泣いていた。
私は思う。
鷹は悲しいのか?
花は切ないのか?
あなたは寂しいのか? そんなふうに考えたことはなかった。
鷹はきっと生きるために飛んでいるのだ。
花もきっと生きるために咲いている。
私もきっと生きるために。
それでも時々そんなふうに見えるのか?
そうなんだ。悲しみや切なさや寂しさは時々は「生きる力」を与えてくれるんだと。
そんな結論に達した、真夜中の脳みそでした。