かけす・くらぶ

身近な生き物たちの出会いと「すい臓がん」闘病記

Nさんとの再会 前編

何からどう話していいのか分からない。
多分まとまりもつかず、だらだらと書いてしまう気がする。

私の若い頃。といっても20数年前のこと。
いまの私の「骨」を作ったと言っても過言でない出来事を。

Nさん。

先日、久々にNさん宅前を車で通過した時、黒い軽が駐車していた。
「あれっ?帰ったはんのかな?」と思ったら、無性に会いたくなった。
(最近の私は会える時に会っておかないと、もう会えなくなるかもしれないという切迫感に陥っています。)
時差の事など考えもせず、すぐにメールしてみた。届くかどうかも分からないのに。

8時間後、返信が届く。
今もスイスに滞在中で帰国はされていなかった。見かけた車は別人のだったらしい。春と秋、年2回の帰国が常態化しているとあった。

それから1ヶ月ほど過ぎた3月終わりの夜、帰国(帰宅)していますとのメール。取って返して電話。翌日、みんなと会えるように段取りをしてくださった。

雨降る中を訪問。いつもの笑顔。会いたかった!何年ぶりだろう?
懐かしい顔が揃った。Nさん、Mさん、Tさん、Eさん、Tさん、Wさん(これ若い順、多分)。みんなあの頃のメンバー。みんな歳を取った。(肖像権というのがあるのでトリミングしています。)


出された湯吞みに見覚えがある。
「これは!」
「むかし頂いた湯吞みです」
陶芸をやっていた頃の拙い作品。この形は我家には残っていない。懐かしい、恥ずかしい。未だ持ってくださったのか、ありがとう!
記念に1枚。


25年も前、隣市の摂津峡でごみ拾いをしている会を知った。
「美しい摂津峡の緑を守る会」略して「緑の会」。
摂津峡は関西の耶馬溪と呼ばれる風光明媚な所。幼少の頃に一山越えて泳ぎに行ったり、くわがたを採りに行ったりした所。
月1回定例のごみ拾いをして美しい摂津峡を守ろうという趣旨に賛同して隣の市から越境して参加した。


Nさんらとはその頃知り合った。聞けば同じ中学卒ということ。先輩面していたら、Tさんがさらに先輩と分かり大爆笑。それはそれは楽しい会だったのです。

その後、隣接する萩谷地区で「北部スポーツセンター」構想が浮上、その予定地が風致地区で、しかも環境保全の指標に当るオオムラサキの生息とエノキの大木、モリアオガエル、オオハナワラビなどの珍しいシダ群生地、オオヒキヨモギなどが存在していると分かり、「建設に反対する会」に加わり、保全対策の監視行動を続けたのです。

切り倒される木を見、埋められる池を見、泥水が流れる川を見ました。








そして1998年4月、「萩谷総合公園」が開園。
オオムラサキは激減、シダの移植失敗、オオヒキヨモギ行方不明、モリアオガエルだけが健在。

いまはこんなに立派な公園となりました。


訪問者はここが以前、どんな所だったのか知る由もありません。
ただ、犠牲になった多くの生き物たちのいのちに思いを馳せてほしいものです。

長くなりそうなので、休憩します。

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