かけす・くらぶ

身近な生き物たちの出会いと「すい臓がん」闘病記

膵臓癌

何からどのように書けばいいのか。
「ブログ」っていったい何なのか。
「私の日記帳」なら書かなくてはいけない。
おそらく一度も会わないだろうどこかの誰かが目を通してくれている、とすれば…。そんな誰かわからないひとの、なにかの足しになるのなら、避けて通ってはいけない。
 
話が長くなる予感がする。興味のない方はスルーしてください。
 
1か月以上も更新がなかった間に事態は急変した。
「栗拾い」の原因は胃ではなく、膵臓癌だった。
 
市の「特定健康診断」の対象となっていないアミラーゼの数値が異常に高い。しかも膵臓由来のP1P2が高い。
 
町医者から中型病院へ。さらに紹介状で大学付属病院へ。
 
血液検査、胃カメラ、エコー、CT、MRI、超音波内視鏡下穿刺生検検査(EUS-FNA)などを経て、診断が下った。
 
 
「どうして私が…」
受け入れるには時間がかかった。というか、まだ信じられない。
 
いつも口ずさんでいる。
 あたし時々おもうの いのちはいったいどれだけ
 どれだけのことを できるものかしら
 いつのまにかいつのまにか いのちの終わり
 あたしたちが若くなくなったとき
 あたしたちはまだ いつかいつかと
 声をかけあうことがあるかしら
 
1972年、当時大学生だった中島美雪。第二回全国フォーク音楽祭全国大会で優秀賞を受賞した曲。「あたし時々おもうの」
1952年2月23日生まれの20才の女の子がどうしてこんな深くて重い歌が作れたのか。
彼女は現在65才。私と3つ違い。
 
今、私はこの歌の意味をかみしめる。
 私、いつも思う いのちはいったいあとどれだけ
 どれだけのことが できるだろうか
 いつのまにかいつのまにか いのちの終わり
 私が若くなくなったとき
 私はまだ いつかいつかと 声をかけあうことがあるだろうか
 いのちはいのちは なんにもしないうちに 終わってしまうから
 もう若い時なんて 私にはない
 私いつも思う いのちはいったいあとどれだけ
 どれだけ残っているだろうか
 
でも。
生きるしかない。
死ぬまで生きるしかない。
人生なんて、ケセラセラ
成るようにしか成らない。
 
明日から治療入院。
放射線抗がん剤治療。平日毎日計28回放射線を当て、点滴と服用で抗がん剤。入院期間は6週間目途。その後腫瘍が小さくなれば手術も可能とか。
 
医師に任せるしかない。
頑張ろうと思っている。
 
 
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