かけす・くらぶ

身近な生き物たちの出会いと「すい臓がん」闘病記

死んだ女の子

「死んだ女の子」という歌を久しぶりに聞いた。
聞いたのは元ちとせが歌う「死んだ女の子」http://jp.youtube.com/watch?v=EmsRNQ57f1M
この歌の存在を忘れていた。懐かしい。
聞いたとたん、すぐに蘇ってきた。

40年も前、私は同じ歌を聞いている。
歌うは高石友也。「思い出の赤いヤッケ 高石友也フォークアルバム第1集」
のLPレコードに収められていた。

♪あけてちょうだい たたくのは あたし
あっちの戸 こっちの戸 わたしはたたくの♪

で始まるこの歌(著作権法に抵触するので全文は載せられません)を就職したての私は何度も何度も聞いていた。
原詞はナジム・ヒクメット(1902~1963)トルコの社会派詩人。
曲は外山雄三(1931~)N響の正指揮者。
編曲はあの坂本龍一。昔聞いたのは訳詞と編曲が違ったような。曲のイメージもぜんぜん違う。楽曲も2種類あるようだ。

広島に原爆を投下したアメリカはその9年後の1954年、ビキニ環礁で水爆実験を行った。漁船第五福竜丸の船員が被爆原水爆反対運動が世界中に広がり、1955年広島で第一回原水爆禁止世界大会が開催、署名は32,590,907名にものぼったという。原詞はその頃、作られたという。曲は1966年頃の作らしい。
1960~70年代。高度経済成長の真っ只中、反戦平和、戦後民主主義、連帯、弾圧、ストライキ。労働者は搾取と長時間労働を強いられ、「家庭」よりも「仕事」が優先された時代。

多感な一人の若者は本気で「世の中を変えよう」と思い、本気で「労働者の模範となろう」と思った。貧しかったけれど、パワー溢れた時代。あれから40年、若者は初老になり還暦が近い。。時代は変わり、パワーもなくなったけれど、まだ胸の奥のどこかにあの頃の思いはくすぶり続いている。

あの頃の思いを蘇らせてくれたこの歌に感謝したい。

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