かけす・くらぶ

身近な生き物たちの出会いと「すい臓がん」闘病記

繁殖の季節に(後編)かけす通信vol.184



 私の住んでいる団地でホオジロを飼っている人がいる。
朝な夕なさえずりが聞こえてくる。去年の今頃はオオルリだった。国内の野鳥は捕獲や飼育は『鳥獣保護法』で原則禁止されている。「愛玩飼養」には特別許可がいる。この住人は果たしてどのようにしてホオジロを入手したのか?
 野鳥を籠の中で飼う。それはいわゆる「箱庭」思想で、あまりに自分勝手すぎる。野生は自然の中で見てこそ野生なのだ。
 では私はどうなのか?僅か60㍑の水の中で魚たちを飼い続けた。そしてメダカ27尾、カマツカ6尾、シマドジョウ4尾、ヤリタナゴ稚魚20数尾、川エビ、シジミ、カワニナ…。これは6年間で私が死なせた魚たちの数。にもかかわらず、野生を部屋の中で自分のものにし続けた。これは罪ではないのか?あのホオジロの飼主と何ら変わりないのではないか!
 私は魚たちをもといた所に逃がしてやることにした。メダカは○原、シマドジョウは二○川、ギンブナは○川、カワニナは安○川。半日かかった。途中、山間の峠で喪服を着た一行と離合待ちした。その列はなかなか途切れなかった。それは私が死なせた魚たちの弔いの行列のように思えた。「ごめんな、魚たち」私は心の中で懺悔した。
 ミソサザイが鳴いている。森の中で鳴いている。それはそこで暮らしているという事。私たちは時々勘違いをする。私たちのために鳴いているんだ、と。そうじゃない、本当はよそ者はここから出て行きなさい、という意味なんだ。野生は自然の中で見てこそ美しい。

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