かけす・くらぶ

身近な生き物たちの出会いと「すい臓がん」闘病記

アスリートたちのメッセージ

金メダル7、銀14、銅17、計38個。
日本は史上最多のメダル数を獲得してロンドンオリンピックは閉幕した。
 
8時間の時差で眠気まなこをこすりながら観戦した人も多かったろう。
サッカー女子決勝、日本×アメリカ戦は3:45キックオフ。視聴率は24.0%だったと言う。 

 
多くの感動を与えてくれたアスリートたちのメッセージを振り返ってみる。
 
・「目指していた1番じゃないけど…嬉しいです」
女子競泳寺川綾選手。100m背泳ぎ銅メダル獲得直後のインタビュー。
 
・「ずっと金メダルを夢みてきて、やってきたので、銀メダルという結果はすごく、
ちょっと後悔はあるのですけども、でも、いろんな人に支えられて、
声をからしてまで応援してくれる仲間がいる中で、泳げたことは本当に最高に幸せです」
男子競泳入江陵介200m背泳ぎ決勝で銀メダルのあと。
・「競泳は27人で一つのリレーをしているようなものなので、
最後の選手がタッチするまで27人の選手のリレーは終わらないです」
 
・「結果はどうであれ、精一杯全力で尽くすだけじゃないでしょうか」
ハンマー投げ室伏広治選手予選通過後のインタビューで。
 
・「先輩がいなかったら、この舞台に立てなかった。感謝しています」
女子バトミントンダブルス 銀メダル垣岩令佳選手。
 
・「色はおまけ」
女子柔道78kg超級銀メダル、杉本美香選手のお父さん。
 
・「康介さんを手ぶらで帰らすわけにはいかない」
男子水泳400mメドレーリレー銀メダル、バタフライ松田丈志選手。
 
その北島康介
・「みんなのおかげです」
 
・「諭、勝ったよ、健太君が勝ったよ!」
フェンシング男子フルーレ団体、銀メダル。千田健太選手は気仙沼出身。
昨年の東日本大震災で親友小野寺諭さんを亡くした。
観客席から遺影を抱えて見守った母礼子さんの一言。
 
 
・「準々決勝のドイツ戦もそうでしたが、はるばるロンドンまで応援に来てくれて、その子たちのためにいいプレーをしたいと思うし、メダルを持って帰るって約束を守れてうれしいです」
卓球女子団体で銀メダルの福原愛ちゃん。仙台出身で青森山田高校卒業の愛ちゃんにとって、被害にあった東北の子どもたちの声援は何よりも大きなパワーになったはず。
 
・「どんな時でも諦めずに頑張れば、夢はかなう。この舞台に立つことができて、優勝できて本当にうれしいです」
女子レスリングフリースタイル48kg級金メダル小原日登美31才、最初で最後の金メダル。
 
・「最高の笑顔で終えることができました。日本の皆さん、ありがとうございました」
女子レスリングフリースタイル55kg3連覇した吉田沙保里選手。
・「4連覇、やってやろうじゃないの!という気持ちにはなっている」
 
 
・「これが最後(の五輪)と決めていた。最後だと思うと1プレー1プレーが切なかったけど、こういう結果で本当にうれしいアゼルバイジャンへの海外移籍など)全部ひっくるめて自分が選んだ道が正しかったんだなと思います」
バレーボール女子、佐野優子リベロ159cm33才、大阪府高槻市出身。アゼルバイジャンのイトゥサチに所属。2メートル近い選手の強烈なスパイクを次々と拾いまくった。
 
・「ミホ(石田)と一緒に戦っていました。会場にはいなくても13人で戦ったんです。ミホの力も借りて、こういう結果を出せたと思います」
3位決定戦で大暴れした迫田さおり24才。鹿児島県出身。
迫田を奮い立たせたのは、サポートメンバーの石田瑞穂の存在だった。迫田自身も代表入りの当落線上だっただけに、最後にチームを離れた石田の分もという気持ちは強かった。ベンチに飾った石田のユニホームとは別に自身のユニホームの下に石田のユニホームを重ね着していた。 

 
・「僕は才能があってこういう金メダルを取れたわけであって、その上で努力はしましたけど、本当にすごいのは僕を支えてくれる家族であるとか、職場の人たち、日本アマチュアボクシング連盟の方々、何より僕にボクシングを教えてくれた武元先生こそが称えられるべき人間であって、僕はただ少し才能と努力があっただけです」
48年ぶりの金メダル。ボクシング男子ミドル級村田諒太選手。
 
・『植物図鑑を書き換えたい。ナデシコはもう花の名を超えている。〔日本原産の多年草。厳しい環境に強く、夏の早朝に銀色の大輪をつける。花言葉=明るい忍耐〕』
8/11朝日新聞、「天声人語」より。 

 
栄光の陰にどれほどの試練があったことだろう。
忍耐、挑戦、挫折、そして勇気。
乗り越えてきたあなたたちに素直に「おめでとう!」と言おう。そして感謝しよう。
ありがとう、チーム日本!

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