かけす・くらぶ

身近な生き物たちの出会いと「すい臓がん」闘病記

木はえらい。

少年時代、まだ安威川がきれいだった頃。

夏休みになると、泳ぎに出かけた。澄んだ水、深い淵もあった。

帰り道の登り坂の途中にあったクヌギ。そこでゲンジ(クワガタムシの総称)を探した。

そのクヌギ、まだ残っている。枝はバッサリ切られ、痛々しいけれど。f:id:kakeyan60am:20200702103410j:plain

あの頃から大きかった。樹齢何年だろう?私より古いのは間違いない。もう樹液は出ないのか?前を通る度にあの頃を思い出す。

 

Mさん宅の裏山にある2本のケヤキ。見事なケヤキf:id:kakeyan60am:20200702103620j:plain

このケヤキはいつからあるのだろう?誰が植えたのだろう?Mさんのご先祖さんが植えたのか?何のために?

いま、このケヤキはすっかり周りの景色にとけこんで、小さな私を見下ろしている。f:id:kakeyan60am:20200702103654j:plain

 

はえらい。

26年も前、中学生だった女の子が書いたメモ。ブログの記事になるのは2回目。https://kakeyan60am.hatenablog.com/entry/2017/04/02/215901

時々読むにつけ、未だに捨てがたい70過ぎの爺さん。今はどんな女性になっているのだろう?会ってみたいけど、一生会うことはないだろうね。f:id:kakeyan60am:20200702103742j:plain

 

はえらい。

お嬢さん、爺さんもそう思います。

何故なら、そこで動かず、でも動いて、生き物たちを助けているから。

時には身を削って餌となり、時には止まり木となり、時にはゆりかごとなり、時には燃料となり、寡黙で、寛容で、「そこ」にあるから。

これが優等生の答え?

でもここ2、3年の爺さんは少し見方が変わってきた。

寡黙な木が私に話しかけてくるんだ。小さな小さな声で。

それは時々、ため息のようでもあるけれど。

「おいっ、元気出せいっ!」って励まされているように聞こえる時がある。「オレはずっとここにいるから」なんてね。

木を撫でて私はそれに答える。「ああわかったよ」って。

小さな小さな声だけど、確かに私には聞こえる。

だから木はえらい!

たぶん木は私より長生きするだろう。そして私の事なんか、行きずりの旅人みたいに忘れてしまうだろう。でもいい。私は忘れないから。

 

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