木はえらい。
少年時代、まだ安威川がきれいだった頃。
夏休みになると、泳ぎに出かけた。澄んだ水、深い淵もあった。
帰り道の登り坂の途中にあったクヌギ。そこでゲンジ(クワガタムシの総称)を探した。
そのクヌギ、まだ残っている。枝はバッサリ切られ、痛々しいけれど。
あの頃から大きかった。樹齢何年だろう?私より古いのは間違いない。もう樹液は出ないのか?前を通る度にあの頃を思い出す。
このケヤキはいつからあるのだろう?誰が植えたのだろう?Mさんのご先祖さんが植えたのか?何のために?
いま、このケヤキはすっかり周りの景色にとけこんで、小さな私を見下ろしている。
木はえらい。
26年も前、中学生だった女の子が書いたメモ。ブログの記事になるのは2回目。https://kakeyan60am.hatenablog.com/entry/2017/04/02/215901
時々読むにつけ、未だに捨てがたい70過ぎの爺さん。今はどんな女性になっているのだろう?会ってみたいけど、一生会うことはないだろうね。
木はえらい。
お嬢さん、爺さんもそう思います。
何故なら、そこで動かず、でも動いて、生き物たちを助けているから。
時には身を削って餌となり、時には止まり木となり、時にはゆりかごとなり、時には燃料となり、寡黙で、寛容で、「そこ」にあるから。
これが優等生の答え?
でもここ2、3年の爺さんは少し見方が変わってきた。
寡黙な木が私に話しかけてくるんだ。小さな小さな声で。
それは時々、ため息のようでもあるけれど。
「おいっ、元気出せいっ!」って励まされているように聞こえる時がある。「オレはずっとここにいるから」なんてね。
木を撫でて私はそれに答える。「ああわかったよ」って。
小さな小さな声だけど、確かに私には聞こえる。
だから木はえらい!
たぶん木は私より長生きするだろう。そして私の事なんか、行きずりの旅人みたいに忘れてしまうだろう。でもいい。私は忘れないから。