点滴をしました。
今日は通院日。3週間ぶりです。
いつものように採血から。
結果は
診察の結果、今回も点滴治療です。去年の10/29以来、輸血はしていません。
処置室で3時間弱点滴後、次の抗がん剤を首からぶら下げて自宅で行います。
会計を待っているあいだ、何気に正面玄関を見ていると、下に鳥の糞が。その上を見ると、ツバメの巣。形からコシアカツバメのようです。もうすでに巣立ったのでしょう、姿はありませんでした。
なぜ今まで気づかなかったのでしょう?ぜんぜん気にも留めなかった。裏門のツバメの巣は知っていたのに。そしてなぜ今頃になって気づいたのでしょう。私は思いました。何か暗示しているのではないかと。
膵臓がんが見つかったのは3年前の10月。あの時から3年が私の「余命」だと思っていました。一日一日が愛おしく、懐かしい友に会い、「はな天」、戸隠、白樺峠も友人とかみさんとで行けました。これが最後だと思いながら。
ことしはコロナ禍もあってどこへも遠出していない。体力も落ちた。けれど生きています。
私は寝る前にルーティーンがあります。
「私は茨木市〇〇〇〇丁目〇〇に住む〇〇〇〇〇と申します。いつもお守りくださりありがとうございます。私のすい臓がんを治してください。どうか私のすい臓がんを治してください。そして今出ている副作用、便秘、むくみ、体重増加、食欲不振を和らげてください。どうかお願いします。」と、みんなから頂いた「お守り」袋でお腹を70回、さすりながら唱えるのです。
そして枕元に置き、翌朝目覚めれば、お守りに「ありがとうございます。きょうも目覚めました。」と感謝するのです。これを毎日行っています。
主治医は今の抗がん剤が効いていると言います。その通りだと思います。でもそれだけではないと思うのです。いえ、思いたいだけかもしれませんが。
私の周りの主治医、看護士さん、ソーシャルワーカーさん、患者さん、庵主さん、友人、家族、そしてかみさん。みんなのお陰で私はきょうも生きていると思うのです。
そして付け加えるとすれば、生き物たちにも「力」をもらっていると思うのです。タカ渡りをもっとしっかり見たいと思う気持ちも、ルリタテハが蛹になったのも、きょうのコシアカツバメの巣を発見したことも、「来年、またがんばろな」というメッセージなんだと、そんなふうにとらえてしまうのです。
そんなことが明日へつながる「いのち」になるということなのでしょうか?
来月から4年目に突入です。私には分かりません。私の余命があとどれくらいなのか。
主治医は教えてくれません。どなたか教えてください、私はあとどれくらい、生きられますか?
近所の田んぼの秋の風景
近くの田んぼの秋の収穫風景です。
ことしはトビイロウンカの食害が流行っているとか。出来栄えが心配です。
この時季に田んぼにいるサギは何を狙っているのでしょう。カエル?バッタ?
アオサギがコオロギを捕まえました。
モズ♀はカマキリかな?
モンシロチョウとアメリカセンダングサ?夏型♂かな?
ノビタキがいました。この個体はうっすら眉班があります。♀でしょうか?
ノビタキは夏鳥。ユーラシア大陸北部に広く繁殖・分布。日本では本州以北で繁殖し、東南アジア、インドなどで越冬。春と秋の渡り途中で平地や農耕地で見られます。
目の周りが黒い個体。♂でしょうか?
ノビタキは昆虫食。ウンカやカメムシも食べてくれればいいのですが。
アトリと三兄弟
昨日はAちゃんと1年ぶりに再会。一緒に鳥見に出かけました。
遺跡跡でタカ渡り観察。
12時過ぎまでで16羽。こんなもんか?遠かったけど、ハチクマ幼鳥が見れました。
アサギマダラも。
そのあと、野外活動センター駐車場へ移動。お目当てのエゴノキ。すでに実は無くなっていて、ヤマガラはチラッとだけ。
「見山の郷」弁当を広げる。静か。
そこへ男の子三兄弟とお父さんが現れる。小学生高学年、中学年、幼稚園くらいかな。立派な補虫網。そういえば昔、通販で補虫網を買ったな。なんて名前だったか?えーと、あっ思い出した。「志賀昆虫社」やった。
長男坊、チョウを追いかけるが失敗。そのあと、銀杏の木に登り、ぎんなんを収穫。うん、なかなかやるな。お父さんは三人を引き連れて林内へ消えた。
しばらくして、Aちゃんが「あれ何?なんか動いてる。」
「おーっアトリや!」
「ほんまや!アトリや。3羽いる!」
「夢中でなんか食べてる」
どうやら地面に生えている雑草の種子を啄んでいるようだ。逃げない。次第に近づいてくる。連写しまくり。
父さんと三兄弟が帰ってきた。撮れた画像を見せてあげる。
「アトリと言うんです。冬鳥です」
「へぇーこんな鳥、初めて見ました」
「まだあそこにいますよ、ほら」
お父さんが首からぶら下げていた双眼鏡を子供が代わる代わる覗く。
「いた!見えた!」
「ア・ト・リやで」
「へぇー、珍しいんですか?」
「こんなに近くで見れるのは稀ですね」
お父さん、私の双眼鏡を見て、
「ほら見てみ、ツルツルや」
「あっこれっ?私より長持ちするんです(笑)」
長男坊の手にはアケビが。
「これ、美味しいよ、ちょっと種が多いけどね」
「さっきちょっとだけ食べて来てん」
「ふーん、いいなぁ、豊作やな」
てな会話をして別れてきた。
アトリは入ってきた車に驚いて林内へ隠れた。木の間越しに姿が見える。
「さよならー」とあいさつをして三兄弟は帰っていった。
「いいね」
Aちゃんと頷きながら言った。セミすらつかめない子がいる時代になんと逞しい貴重な三兄弟。お父さんのなせる業なのか。まるで絶滅危惧種に会ったような気がした。
アトリを見れたことも嬉しかったが、三兄弟に出会ったことも嬉しかった。
いい一日だった。Aちゃん、ありがとう。
「男たちへ女たちへ」
馬場俊英って知っていますか?
知っていても、知らなくてもいちど聴いてください。11分と長い歌ですが、いい歌です。いま、一番好きな歌です。
途中の歌詞で
♬ 今夜は風が街を吹き抜ける
街路樹が揺れながら夜の詩を歌う
ああ今夜の風に根を張り立つ木々たちよ
その下のサナギたちよ
君の詩をそっと聴かせておくれ ♬
馬場さんの小さき者たちへの愛情がうかがわれます。
♬ ほんとに不思議だよね生まれて死んでゆくこと
いい時もあるけれど悪い時もあるさ
どうか負けないでほしい大人たちよ ♬
今の私の心にずんずん響いてきます。
きょうのハチクマ
昨日で点滴は終了。昨夕食はきつねうどん。食欲無し。お揚げさんは残しました。
今朝は雨上がりで快晴。無理を押して出かけました。
地元の遺跡あと。標高314m。ここでは初めての観察です。北東の風が強い。
案の定体調が悪く、3時間余りで撤収してきました。
ノスリ。
低く旋回してくれたハチクマ♀成鳥。初列の翼指が右は6枚あるのに、左は5枚。P5が抜け落ちているのでしょうか?
そもそもハチクマはどうして渡るのでしょう?
世界には3種のハチクマ類と近縁のオナガハチクマが2種います。この5種のハチクマはいづれもハチを主食にしていますが、長距離の渡りをするのは日本へ来る亜種とヨーロッパハチクマだけで、その他は熱帯地方で留鳥的な暮らしをしています。(亜種ハチクマとヨーロッパハチクマを同種とする説もあります。)
「ハチクマの好物のスズメバチは冬にはいなくなるので、餌の手に入る暖かい地方へ移動する」という答えでいいのでしょうか?
東南アジアには別亜種が留鳥として周年暮らしています。わざわざ長距離を渡らなくても越冬地でそのまま暮らせるはずです。
亜種ハチクマにとって温帯地方の魅力は何なのでしょうか?
ひとつはハチの発生パターンが考えられます。熱帯地方では年間を通してハチを手に入れられますが、そのパターンは「安定少量」または「不安定大量」と言われています。これに対し、温帯地方のハチは「安定集中大量」の発生を繰り返します。その時期はハチクマの子育ての時期と重なります。雛はハチの発生時期に合わせるように短期間に成長し、体力をつけ、渡りを成し遂げるのでしょう。
ハチクマの衛星追跡の結果、ハチクマの幼鳥は翌年には日本に戻らず、越冬地に留まることが分かってきました。繁殖しない個体は繁殖にかかわる餌資源を必要としないので、あえて危険な渡りはしないのではないでしょうか?
2か月以上、10,000㎞もかけて行ったり来たり。翼を持たない私たちに憧れと勇気を与えてくれています。